『心』 「先生と私」六
私は墓地の手前にある苗畠の左側から這入つて、両方に楓を植ゑ付けた広い道を奥の方へ進んで行つた。すると其端に見える茶店の中から先生らしい人がふいと出て来た。私は其人の眼鏡の縁が日に光る迄近く寄つて行つた。さうして出し抜けに「先生」と大きな声を掛けた。先生は突然立ち留まつて私の顔を見た。
「何うして……、何うして……」
先生は同じ言葉を二遍繰り返した。その言葉は森閑とした昼の中に異様な調子をもつて繰り返された。私は急に何とも応へられなくなつた。
「私の後を跟けて来たのですか。何うして……」
先生の態度は寧ろ落ち付いてゐた。声は寧ろ沈んでゐた。けれども其表情の中には判然云へないような一種の曇があつた。
私は私が何して此所へ来たかを先生に話した。
「誰の墓へ参りに行つたか、妻が其人の名を云ひましたか」
「いゝえ、そんな事は何も仰しやいません」
「さうですか。――さう、夫は云ふ筈がありませんね、始めて会つたあなたに。云ふ必要がないんだから」
先生は漸く得心したらしい様子であつた。しかし私には其の意味がまるで解らなかつた。
先生と私は通りへ出ようとして墓の間を抜けた。依撒伯拉何々の墓だの、神僕ロギンの墓だのという傍に、一切衆生悉有仏生と書いた塔婆などが建てゝあつた。全権公使何々といふのもあつた。私は安得烈と彫付けた小さい墓の前で、「これは何と読むんでせう」と先生に聞いた。「アンドレとでも読ませる積でせうね」と云つて先生は苦笑した。
先生はこれらの墓標が現わす人種々の様式に対して、私ほどに滑稽もアイロニーも認めてないらしかつた。私が丸い墓石だの細長い御影の碑だのを指して、しきりに彼是云ひたがるのを、始めのうちは黙つて聞いてゐたが、仕舞に「貴方は死といふ事実をまだ真面目に考へた事がありませんね」といった。私は黙った。先生もそれぎり何とも云はなくなつた。
墓地の区切り目に、大きな銀杏が一本空を隠すやうに立つてゐた。其下へ来た時、先生は高い梢を見上げて、「もう少しすると、綺麗ですよ。此木がすつかり黄葉して、こゝいらの地面は金色の落葉で埋まるやうになります」と云つた。先生は月に一度づゝは必ず此木の下を通るのであつた。
向うの方で凸凹でこぼこの地面をならして新墓地を作つてゐる男が、鍬の手を休めて私たちを見てゐた。私たちは其所から左へ切れてすぐ街道へ出た。
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今週末の16日日曜日に行う予定の
第8回「ぞうさんぽ」では、この『心』の雑司ヶ谷霊園の下りを
今の雑司ヶ谷霊園内で実際に検証してみようと思っております。
漱石に、また『心』に
関心とご興味を抱かれる方々の参加をお待ちしております。
◎日時 11月16日(日曜日) 12時集合〜15時頃まで
◎集合場所 副都心線「雑司が谷駅」1番出口前(池袋方面、都電駅方面)
◎参加費 500円(資料代込み)
◎募集人数 10人前後
◎申し込み 「ぞうさんぽの会」メールアドレス michikusa.walk@gmail.com 宛に
必要事項(氏名/参加人数/連絡先電話番号)を記入してお申し込みください。
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